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ハンガリーでの研究について 2

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ハンガリーでの研究について 2

死亡例

1.女性患者(46) 1993年12月7日重水素低減水摂取開始
1998年に乳がんの診断を受け、1992年9月に骨転移が初めて確認された。患者が重水素低減水を飲み始めるまで病状は進行しており、疼痛と障害の度合は増していた。重水素低減水の摂取に続いて、疼痛は1~1.5ヶ月で沈静化していき、2ヶ月後の骨シンチグラフィ(bone scintigraphy)では当初見られたいくつかの小転移が確認できなかった。患者は1994年1月まで重水素低減水を飲水し、生活の向上を示した。その後、彼女は重水素低減水の摂取を止めた。4ヶ月後、患者は悪化し、疼痛も再び現れた。1994年9月の骨シンチグラフィでは、中等度の転移が確認された。この後に患者は治療を再開することを決めた。1995年10月の骨シンチグラフィでは、さらなる転移は確認されなかった。しかし、病気は緩やかに進行し、飲水後の最初の3年間には大きな改善は見られなかった。1996年12月、患者は転移が原因で上腕に病的骨折を起こし、大腿は外科的に補強された。上腕骨が回復した1997年の夏に、患者は減少していた体重を10kg取り戻し、疼痛も薬物で制御できるようになった。治療開始後4年間で、軟部組織に転移が起こらなくなった。1997年10月のCTスキャンで、脳への転移が明らかになった。患者は骨転移が現れてから5年半後に死亡し、内4年半は重水素低減水を摂取し続けていた。

3.女性患者(72) 1994年11月3日重水素低減水摂取開始
患者は1985年に胸部手術を経験している。1993年末に、脳、肝臓、骨への転移が確認された。彼女は重水素低減水を、上記の日から1996年5月に死亡するまで摂取していた。余命2~3ヶ月という予測に反し、彼女は安定した良い状態で26ヶ月間生存した。

5.女性患者(56) 1995年10月1日重水素低減水摂取開始
1990年8月、患者は組織学的に浸潤性の乳がんと診断され、乳房の切除手術を受けた。手術後、患者は放射線治療を受けた。1992年、左乳房にも転移が発生した。重水素低減水の摂取前に、肋骨とL. Ⅱ-Ⅲ-Ⅳ椎骨に転移が確認された。患者は背中に激しい疼痛を訴えていた。重水素低減水治療を始めて3ヵ月後、彼女の苦痛は和らぎ、病状は改善された。1995年7月の血球数検査ではかなり良い値を示し、ESR値(erythrocyte sedimentationrate)は以前の60から26へ減少し、膿尿は見られなかった。10月には更に改善し、体重も増加した。1996年2月にインフルエンザに感染し、回復が長期間遅延した。8月の検査で、脳への転移が見つかった。重水素低減水と従来の治療により、1997年7月に患者が死亡するまで改善と悪化が断続的に続いた。重水素低減水の摂取後には確実な改善が見られ、骨転移が現れてから30ヶ月、脳転移の診断後10ヶ月生存した。

13.男性患者(47) 1994年10月1日重水素低減水摂取開始
患者は手術不能な器官上皮の肺がんのため、1993年5月から治療を続けていた。重水素低減水治療を開始するまでに、患者は15kgも体重を失っていた。腫瘍サイズは停滞し、その後少しずつ後退していたが、1993年11月の検査では進行が確認された。そのため、1994年1月からプロトコルの変更が行われた。患者は治療によく耐え、腫瘍の停滞と時折起こっていた無気肺の減少に至った(1994年8月)。彼は1994年9月に最後の治療を受けた。つまり、1994年11月の時点では最後の細胞増殖抑制治療を受けて3ヶ月が経過しており、重水素低減水摂取が唯一の治療となっていたのである。このときの診察で、「大幅な後退」が確認され、その状態が1995年3月まで続いていた。1996年1月に再び進行が確認され、患者は病気が診断されてから3年半後の1996年10月に死亡した。彼は重水素低減水の摂取を連続的に行っていた。

15.女性患者(46) 1994年9月29日重水素低減水摂取開始
1994年3月、患者に4×5cmと8cmの腫瘍が発見され、組織学的に混成タイプ(扁平細胞 + 未分化腺がん)の腫瘍であると診断された。重水素低減水治療の開始は、プロトコルの変更とともに行われた。2週間後、腫瘍体積は50%減少し、2つの治療の相乗効果であるとみなすことができた。1995年2月に細胞増殖抑制治療が終了した。3月までに患者は窒息を感じなくなり、全体的に良好な状態となった。また、7月までに彼女の体重は12~14kg増加した。しかし、8月に再び進行が確認され、診断の2年後の1996年3月に患者は死亡した。

16.女性患者(61) 1994年11月29日重水素低減水摂取開始
1994年9月に患者は小型細胞肺がんと診断され、10月に細胞増殖抑制治療を開始した。患者への反応は良かったが、重い副作用に耐えることは難しかった。彼女は重水素低減水を1994年11月から1995年10月まで連続的に摂取し、肉体的状態は向上した。この後患者は現れなくなったが、患者が治療を受けていた病院から彼女が死亡したことを知らされた。患者は診断の2年後の1996年3月に死亡したとのことである。

19.女性患者(55) 1993年11月3日重水素低減水摂取開始
1993年10月の超音波検査で、直腸腫瘍由来の5つの肝転移が確認された。患者は肝臓域に激しい疼痛を訴えたが、重水素低減水の摂取後数日以内で収まった。1994年2月、患者は重水素低減水を1週間摂取しなかった。彼の疼痛は再発したが、重水素低減水の摂取を再開後に止まった。患者の状態は安定し、1994年と1995年初頭は活発に過ごした。彼女は1995年3月に重水素低減水の摂取を止め、肝転移の確認後21ヶ月を経た1995年7月に死亡した。

20.男性患者(65) 1994年10月10日重水素低減水摂取開始
1994年9月に結腸腫瘍に由来する3~6cmの多発性転移が肝臓に確認された。次の腫瘍マーカー値は重水素低減水の摂取開始直前(1994年10月6日)、摂取4ヶ月後(1995年2月20日)に測定されたものである。

CEA(carcinoembryonic antigen癌胎児性抗原)
959 ng/ml
189.7 ng/ml
CA-50(carcinoma 50腫瘍マーカー)
998 U/ml
195.8 U/ml
Ca-242
3069 U/ml
324.6 U/ml
患者は1996年7月まで重水素低減水の摂取をづつけた。患者は1994年9月に診断されてから22ヶ月生存した。

21.男性患者(58) 1995年2月7日重水素低減水摂取開始
1995年2月、患者は手術によって結腸を60cm切除した。肝臓に5~6個の転移が発見され、その1つはリンゴ大であった。患者は5-フルオロウラシル(5FU) + ロイコボリン(Leukovorin)を投与された。重水素低減水摂取1ヶ月後の3月の検査では、2つの腎臓の嚢腫が検知されず、5月までに患者の体重は6kg増加した。10月のCTと超音波検査では停滞と肝臓に石灰化点が確認された。1996年8月のCTスキャンでも停滞が確認されたが、患者は10月より体調の悪化に続いて、時折下痢を起こした。患者は疾患と肝転移の診断後、27ヶ月が経過した1997年5月に死亡した。 注:この腫瘍タイプでは、遠隔転移のケースで生存を大幅に増進すること「のみ」に成功している。この腫瘍タイプは、重水素低減水に対する反応が非常に遅い。そして、90ppmの重水素低減水は、肝臓の大きな転移を除去するのに十分な低さの重水素量ではない。患者が直腸-結腸手術後、1~1.5年間連続的に重水素低減水を摂取すれば、遠隔転移の発生を妨げることができると考えられる。この腫瘍タイプおよび遠隔転移の存在下では、重水素量75~62.5ppmの重水素低減水で治療を開始することを勧める。

24.女性患者(45) 1992年2月重水素低減水摂取開始
患者は1993年に卵巣腫瘍の手術を受けた。手術後の試験では陰性であった。彼女の食欲は旺盛で、体重は4kg増加した。また、活動が活発で働きにも出ていた。彼女は1993年2月から1994年11月までの間、重水素低減水を連続的に飲水していたが、長期間症状があらわれなかったため、飲水を止めてしまった。1994年12月の検査結果は陰性であったが、2ヶ月後に腹部に病訴が現れた。そのため、1995年2月に再手術が行われた。この後、患者は重水素低減水の摂取を再開した。我々はこれを、細胞学的な結果は陽性であったのにもかかわらず、超音波検査では再び陰性を示すことが原因であると考えた。1996年4月、再発が確認された。最初の再発から3年に近い闘病の末、患者は1997年11月に死亡した。
(この後、我々は卵巣腫瘍の手術を受けた他の患者に、症状が2年以上の長期間現れなくても、重水素低減水の飲水を止めることは勧めないようにした。)

27.女性患者(56) 1992年7月12日重水素低減水摂取開始
患者は1年間存在していた舌の腫瘍を除くため、1989年3月に最初の手術を受けた。1990年に腫瘍は後退し始め、患者は治療を繰り返した。1992年末には再発が起こり、患者は重水素低減水の摂取を開始した。その時から腫瘍のサイズは縮小し、1993年3月に行われた生検では、サンプルの中に腫瘍組織は確認されなかった。患者は1993年の間は重水素低減水を飲み続け、1994年1月に中断した。続いて疾病の大幅な進行が確認され、1994年8月に再度手術が必要となった。重水素低減水は、1994年7月より規則的に摂取していた。1997年2月、生検によって再び陽性であることが証明された。重水素低減水の用量を増やすことによって、新たに発生した腫瘍塊のサイズは縮小し、その内容物は軟質化した。さらにに進行したのは1998年の春のみで、この際はX線によって肺に転移が確認された。用量を増加したため、患者は粘性の分泌物を吐き出し、口内の腫瘍は柔らかくなった。また、食道付近の腫瘍のサイズは縮小したが、耳の腫瘍には反応がなかった。患者はそれから1年生存し、1999年の春に死亡した。最初の手術から合計10年が経過していた。重水素低減水を摂取する前の3年間に再発があった。我々は、重水素低減水の連続的な摂取を行えば、このような再発は起こらないのではないかと推察する。次のケースはそれを示すよい例である。

33.男性患者(65) 1994年11月1日重水素低減水摂取開始
患者は1994年9月に多発性骨髄腫と診察された。その前の3月に、彼は肋骨を病的骨折していた。重水素低減水の治療を始める2ヶ月前に、細胞増殖抑制治療が行われた。飲水2ヶ月後の1995年1月までに、患者の体重は5kg増加した。3月、電気泳動によって大幅な改善が確認され、さらに2ヶ月後には異常が見られなくなった。そして、患者は7月に一連の治療を受け終えた。1996年9月の電気泳動および血球算定は正常であった。1996年1月の血液レベルは正常であり、骨シンチグラフィでも初期腫脹は確認されなかった。また、9月の診察も陰性であった。1996年10月、患者はHevizで温浴療法を受けたが、治療が終わる頃に不調を訴え、肋骨間には疼痛が見られた。1996年11月に新しい治療を始めた。1997年3月、胸骨に相当な大きさの腫瘍が現れた。腫瘍は5月に後退したが、8月に再び出現した。その一方で、胸椎の間にも転移が発生していた。患者は重水素低減水を連続的に摂取しており、休止したのは数ヶ月間だけであった。重水素低減水治療を続けたため、患者はさらに2年生存し、診断から4年半後に死亡した。
注:重水素低減水は造血に関連する腫瘍遺伝学的疾患の治療に、高い効果をもって使用することができる。重水素低減水の摂取によって従来型治療の効果は増幅し、再発を避けるチャンスが増加する。

34.男性患者(66) 1994年11月7日重水素低減水摂取開始
1985年、肝臓の関連組織に由来する悪性腫瘍が発見された。重水素低減水治療を始めるまで、腫瘍を小さくするために数回の手術が行われ、腫瘍への血液供給を遮断するための血管閉鎖も一度行われた。1994年5月、腫瘍突破に起因する胃出血のため、胃切開および胃を腸へ接合する手術が行われた。黄疸と血糖値の降下により、患者は度々意識を失った。1994年10月、過度の肉体的衰弱により患者は入院したが、回復の見込みはほとんどなかった。11月の超音波検査では17×21cmの腫瘍が確認された。重水素低減水の摂取に続き、患者の食欲は増強し、体重が3.5kg増加して歩けるようになった。そして、彼は11月に退院した。研究室での検査により黄疸の減少が確認され、腫瘍に起因していた高い酵素値も下降した。1995年2月、超音波検査によって16×14cmの腫瘍が確認された。重水素低減水の摂取開始から1年後、黄疸はほとんど消え、数年間土色であった便の色が正常に戻ったことから胆汁流量の改善も確認された。重水素低減水を規則的に摂取できなかった11月に、患者の容態の悪化が起こった。1995年11月27日に患者は死亡した。患者の状態の改善は1994年11月から1年間続いたが、この間患者は他の治療を受けていなかったため、この改善は重水素低減水の摂取に帰するものと思われる。

37.男性患者(44) 1995年5月12日重水素低減水摂取開始
1995年8月、患者の左側頭頭頂の腫瘍は組織学的に膠芽腫と診断され、手術によって切除された。その後、患者は放射線治療を受けた。手術から半年経った1996年1月、CTスキャンによって、手術域にリング状の付着成長が確認された。1996年4月、患者に造影剤を投与して検査を行ったところ、残存腫瘍の僅かな進行とともに、不均質なコントラストをもつ付着物が観察された。1997年10月にCTスキャンは直径1cmの再発の疑いを示した。1997年4月の時点で側頭頭頂の腫瘍は約3cmであり、膨張性を増していた。1997年は化学療法が行われた。患者は2年生存し、1997年11月に死亡した。

中止例

■肺の腫瘍
11.男性患者(62) 1993年4月21日重水素低減水摂取開始
1992年の診断時、患者は開胸によって手術不能な腫瘍が確認された。診断後、患者は放射線治療を行うと共に、1993年4月から9月までの期間に最初の重水素低減水摂取を行った。この期間は、進行は見られなかった。しかし、飲水後に痛みが5~10分間現れたため、後に患者は重水素低減水治療を止めてしまった。これに続き、患者の体重は1994年3月15日までに15kgも減少した。そのため、主治医のアドバイスの下に、彼は再び重水素低減水の摂取を始めた。2ヶ月で患者の体重は4kg回復し、7月のX線検査では腫瘍のサイズは2年前に観察されたときと同じ大きさに戻っていた。患者の窒息は止まり、再び肉体的に活発な状態になった。1995年1月の検査では、腫瘍の停滞が確認され、6月の気管支鏡検査では腫瘍域の瘢痕化が見られた。その後、患者は肉体的に良い状態が続き、1996年5月のX線検査で後退が確認された。1996年8月、患者は全体的に良い状態であったため、重水素低減水の摂取を止めた。しかし、それに続いて1997年1月に再び悪化し、1999年5月には手術域に疼痛を訴えた。彼は肉体的には活発で、体重も安定していた。診断および診査手術から7年が経過したが、X線像によれば腫瘍は被嚢した状態にある。

■子宮頸部の腫瘍
26.女性患者(47) 1993年11月22日重水素低減水摂取開始
患者は1993年11月に手術不能な子宮頚の腫瘍であると診断された。腫瘍は卵巣にも絡み付いていた。患者が重水素低減水を摂取し始めた1994年3月から、彼女の状態は連続的に改善した。患者の体重は増加し、子宮頸部の腫瘍は検知不能になった。7月までに以前見られた腸の狭窄は消え、患者は全体的に良い状態であった。1994年11月より、患者はさらに重水素量を減少させた水を摂取し始めた。1995年2月の診察の結果、大幅な進行が確認された。患者をさらに5ヶ月間追跡調査すると、その間患者は十分な量の重水素低減水を取っておらず、それと同時に彼女の状態はゆっくりと後退した。このケースは、重水素低減水の摂取と腫瘍の動きに関連性があることをよく示している。それと同時に、正しい用量を定め、維持することの重要性もこの症例から明らかである。

■星状細胞腫
36.男性患者(29) 星状細胞腫A3 1995年3月28日重水素低減水摂取開始
1991年からのてんかん発作に続き、脳腫瘍の存在が確認された。1995年1月に手術が行われた。患者は44ヶ月間中断することなく重水素低減水を摂取し続けた。当初は頻繁に強い痙攣が見られたが、徐々に減少していった。しかし数ヶ月経つと、数週間痙攣を起こさずに過ごすことができるようになり、発作が起きても軽微なものであった。それから4年後の1999年3月より、100ppmの重水素低減水の代わりに62ppmの水を飲水するようになった。その1ヶ月後に激しい頭痛が現れ、さらに1ヶ月後には病状が急激に悪化した。MRIによって、腫瘍と握りこぶし大の嚢腫が確認された。重水素低減水の用量増加は腫瘍の成長を抑制することができなかったのである。1ヶ月後の手術は成功し、患者はその4日後には退院することができた。 このケースは腫瘍成長の抑制に対する重水素低減水の重要な役割を示すよい例である。この例の場合、42ヶ月間は適切な用量であった。しかし、例え飲水後4年を経ていたとしても、重水素低減水の重水素量の増加もしくは用量の減少を行うべきではない。例の場合、これを行ったために患者は2ヶ月以内に再発してしまったのである。

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