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ハンガリーでの研究について

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ハンガリーでの研究について

研究者

● ガボール・ショムヤイ博士

1956年 ブタペスト生まれ
1988年 分子生物学 理学博士(Ph.D)
1988年 ドイツ ジョージ・オーグスト大学で研究
1990年 アメリカ コロンビア大学で研究
1990年 ハンガリー国立ガン研究所で腫瘍の壊死と腫瘍壊死因子の研究
ハンガリー国立ガン研究所で10年の歳月を費やし、1000人を超す臨床データをあつめた
1999年 「がんに打ち勝つ!重水素減少水のがん治療の効果」を論文発表

重水素低減水の生物学的効果に関する文献

・重水素低減水の生物学的効果に関する文献
・重水素低減水の生物学的効果に関する講演、セミナー及びポスター
・基礎研究の結果(1990~1999)が発見しノーベル化学賞を受賞。

研究機関

・国立薬学研究所(Orszagos Gyogyszereszeti Intezet)

in vitroの実験

・細胞の分裂が阻害された
・アポトーシスが促進された

動物での試験

・マウス、ネコ、イヌに対して腫瘍のサイズに関して成長が止まるまたは小さくなる
・マウスにおいて腫瘍細胞の増殖抑制、腫瘍体積の減少が立証された

効果

1. in vitroでのDDW処理下では、細胞の分裂が抑制された。
また、実験系において重水素除去によってアポトーシスが促進された。
2. がん患者と同様に自然発生的な腫瘍をマウス、ネコ、イヌに対して移植したケースでDDWの結果として腫瘍サイズの成長が停止または縮小した。
さらにマウスによる実験で、重水素除去が腫瘍細胞の増殖を抑制し、結果として腫瘍内部の破壊(腫瘍体積の減少)がおこるとこが立証された。
3. 明確な腫瘍の存在を間接的に調べる試験として、血中における特定のタンパク質(腫瘍マーカー)の出現を見る方法が有る。
重水素低減水の飲水後(あるケースでは、一時的に飲水量を増加した後)では、腫瘍マーカーの値が減少した。
この減少は腫瘍の体積の減少に関係し、重水素除去の抗がん効果もまた影響していると思われる。
4. 全ての寛解患者(がん患者の治療の際、腫瘍細胞の存在を調べる試験はおこなわなかった)において重水素低減水の飲水中は何年も再発が見られなかったが、飲水を中断した数ヶ月後に、腫瘍が再現したという例がいくつかあった。
これは重水素低減水が患者の生体バランスを維持し、また腫瘍の成長を抑制していることを示している。
5. 先進国において、10年以上にわたり多くの研究が続けられてきた。
何千人もの患者が、栄養摂取と薬物使用の関連性、もしくはある病気が実際に発生する頻度を調べるために実験へ参加した。
ある実験は、NSAIDs(アスピリンのような非ステロイド抗炎症薬)を定期的に服用している患者の中では、特定のがん(肺、結腸)の発生頻度が低下することを明確に示している。
基礎研究によって、この効果はいくつかの薬物がprostaglandinの合成に関与する遺伝子COX-2を抑制するために起こることが証明された。
重水素低減の研究においても、同様に重水素除去によってCOX-2の活性が抑制されることが示された。
6. 過去数ヶ月の間に長年科学者の間でがんの成長に関与しているとみなされてきた遺伝子の活性が、重水素除去によって抑制されることを証明した。

人への試験

■前立腺腫瘍でのフェーズⅡ臨床試験
・二重盲検法によるフェーズⅡ臨床試験
前立腺腫瘍でのフェーズⅡ臨床試験の中間報告が、最も重要な指標(前立腺体積、排尿上の問題、効力、生存率)によってさらに裏付けている。結果は治療群の方が対照群よりも、有意に良かった。

■乳腫瘍患者のデータ解析の詳細
・重水素低減水を摂取した患者群では、73%の患者が遠隔転移の出現後2年間生存し、25%が5年生存した。この結果は、腫瘍患者は大きな効力をもって、治療と治癒を受けることができるという初期のデータを裏付けるものである。

■特例使用および補助治療としての重水素低減水の適用
・患者は従来の治療に並行して重水素低減水を与えられ、従来治療の代用としたのではない。
・患者は重水素低減水の摂取について医師に通知し、主治医の協力を仰ぐことを目指した。
・参加した患者には番号が与えられ、データはプロトコルに記録した。
・それを基に、詳細で正確な重水素低減水摂取患者の統計分析を作成した。
・追跡調査中、重水素低減水の量と濃度に関する対象実験の記録を採取した。
・重水素低減水の摂取に関する患者の調査と観察を全て記録した。

■ハンガリーでの臨床例
・生存例、死亡例、中止例

■腫瘍のタイプと感受性
・高感受性タイプ 、平均的感受性タイプ 、低感受性タイプ 、抵抗性のタイプ、その他のタイプ

そのほかの効果

・がんと糖尿病を併発している患者の血糖値が低下した。
・抗がん剤の副作用が軽くなった。
・睡眠の質が良くなった。
・疼痛が軽くなった。

生存例

■乳房の腫瘍
7.女性患者(48) 1995年8月28日重水素低減水摂取開始
侵襲性の小葉がんのため、腋窩切開により左乳房の部分摘出が行われた。術後、患者は放射線治療を受けたが、化学療法は受け入れなかった。1990年に再発部位を左胸から除去し、放射線治療を続けた。1995年8月には、胸部全体に手術不能の広範囲な再発が確認された。それからCMF療法を行い、後から並行して細胞増殖抑制治療を開始した。1995年8月には重水素低減水の摂取も開始した。それに続き、50%以上の後退が起こった。化学療法が終わった後も後退は続いた。1995年8月以来重水素低減水を飲み続けた患者は、病訴から解放され、仕事に復帰した。

8.女性患者(37) 1996年2月26日重水素低減水摂取開始
患者は1993年に乳腫瘍の手術を受け、その後放射線治療を受けた。1995年に行われた骨シンチグラフィによって転移が確認された。そのため化学療法を開始し、1996年10月まで続けられた。細胞増殖抑制治療のため、1996年2月から8月の間は重水素低減水の消費が不規則になった。しかし、何度かの治療中断を経て、1998年8月以来彼女は規則的に飲水を行うようになった。1996年8月から10月までの期間に、患者の体重は3kg増加し、補助なしで歩けるようになった。彼女はそれ以来活動的で、疼痛もなかった。1998年の調整によれば、プロセスは統合されている。つまり、骨に重大なカルシウム沈着が確認されたのである。また、股関節部の絞窄感も緩和した。患者は肉体的ストレス(水泳、登山)に耐え、全般的に良好な状態にある。

9.女性患者(48) 1996年11月19日重水素低減水摂取開始
臨床病期T2N0M0であったため、患者には右乳房の切除の病歴があった。患者は手術の間、放射線‐化学療法を受けていた。1996年8月に胸膜と肺に転移が確認された。MMM(methotrexate, mitomycin C, mitoxantrone)の用法に従って、細胞増殖抑制治療を開始し、重水素低減水治療を開始するまでに4連続投与された。しかし、検査では腫瘍のサイズに変化は見られなかった。この時期に患者は重水素低減水の摂取を開始した。1997年1月、肺転移のサイズがかなり縮小し、患者の体重は増加した。1997年3月のCTスキャンによると、肺に大きな後退が起きていることが分かった。1997年8月には、完全な後退が報告され、MMM治療は終了した。1997年秋、患者は海外旅行へ行くことが可能となり、国外で治療を受けた。10月のX線検査ではさらに進歩が見られ、残存する腫瘍は胸膜のみとなった。1997年2月の検査では、変化は見られなかった。1998年7月に胸膜の転移に進行が見られた。1998年8月にTaxotere治療が開始され、11月に終了した。

■肺の腫瘍
10.女性患者(54) 1997年3月18日重水素低減水摂取開始
患者は1983年に最初の手術を受け、その時にリンパ節に至っていることが確認された。1992年、てんかん発作を起こした後に、脳への転移が明らかになった。手術後、患者は化学療法と放射線治療を受けた。1996年8月、肺に転移が現れた。1997年3月のCTスキャンでは、肺の他に肝臓、副腎にも同様に転移していることが分かった。重水素低減水の摂取を開始してから5ヶ月後の1997年8月に、肝臓の転移は停滞し、10月には後退が見られた。さらに1998年7月には腫瘍の完全後退が確認された。10月に行われた腹部の超音波検査では、肝臓と副腎の両方に関して正常という結果が得られた。1997年末近くに悪化していることが明らかになり、患者は細胞増殖抑制治療に続いて放射線治療を受けた。1998年4月、患者は病訴もなく、肉体的に良好な状態であった。夏の間、彼女は相当な量の白いゼリー状の分泌物を吐き出した。これは肺に腫瘍をもつ患者が、重水素低減水を摂取する場合に起こる現象である。

12.男性患者(72) 1993年12月5日重水素低減水摂取開始
患者は衰弱しており、X線および内視鏡検査によって肺の左上葉の動脈壁付近に比較的小さな(1cm)腫瘍があることが確認された。重水素低減水摂取後1ヶ月で腫瘍の成長は最低限に留まり、1月には成長は見られなくなった。その後、患者はベッドから起き上がれるようになり、さらに数時間歩ける程度に肉体的回復を見せた。患者は1995年8月まで連続的に重水素低減水を飲み続けた。その後も1996年4月と10月、および1997年10月に治療を反復した。1996年4月の報告書では、腫瘍は被嚢している。患者は血友病を患っていたため、従来の治療を受けることができなかった。4年前に医師が余命数週間と予測したにもかかわらず、1997年10月の情報では、患者の状態は安定しているという。

14.女性患者(54) 1994年2月15日重水素低減水摂取開始
1994年1月、患者は肺の腺がんと診断された。1ヶ月後、彼女は重水素低減水を飲み始め、1995年10月まで20ヶ月間連続して飲水し続けた。この間に進行は起きず、握りこぶし大であった腫瘍は1995年7月には縮小していることが確認された。重水素低減水の飲水を止めた時点、患者は全体的に良い状態にあった。肺腺がんと診断されてから4年半後の1998年9月の情報によると、彼女は活発になり社会復帰しているという。重水素低減水摂取後、腫瘍は数年間にわたって停滞している。

17.女性患者(75) 1995年4月18日重水素低減水摂取開始
患者は腺がんのため、1993年8月に手術を受けた。腫瘍は胸膜壁の尖部に付着していた。Centre of segmentⅢにある腫瘍のサイズはクルミ大でであり、これと肺門リンパ節が葉切断術によって取り除かれた。患者のCa 19-9腫瘍マーカー値は1994年末から増加している。

1994年11月
54.8 ng/ml
1995年1月
54.3 ng/ml
1995年2月
74.9 ng/ml
重水素低減水摂取後3ヶ月で患者の体重は5kg減少し、腫瘍マーカーはさらに増加した。
1995年7月
86.1 ng/ml
重水素低減水の用量を増やした後、1995年12月から腫瘍マーカー値は次のように変化した。
1995年12月
60.8 ng/ml
1996年3月
45.4 ng/ml
1996年10月
39.4 ng/ml
1997年1月
29.6 ng/ml
1997年7月
23.5 ng/ml
1998年1月
20.2 ng/ml

患者は重水素低減水を5年間摂取している。患者は術後6年経つ現在も肉体的に良い状態を保ち、病訴はない。

18.男性患者(69) 1995年10月10日重水素低減水摂取開始
1994年7月に左肺動脈の新形成が確認され(扁平細胞)、診査によって手術不能であることが分かった。腫瘍は心膜に侵入し、主要な動脈に絡み付いていた。腫瘍の大きさと位置により、従来の治療は行うことができなかった。したがって、患者に残された治療は重水素低減水だけであった。重水素低減水治療開始6ヶ月後の1996年4月までに、患者は健康状態の改善を報告した。赤血球沈降速度(ESR)は80から6に下降し、腫瘍サイズは停滞した。糖尿病でもある患者の血糖値は低下し、呼吸困難に陥ることも少なくなった。また、左肺に蓄積されていた残留物も一層され、患者は医師としての仕事に復帰することができるようになった。1997年秋、患者は海外旅行を満喫した。彼の状態は、腫瘍の緩やかな成長が観察された1998年6月まで安定していた。1998年7月に患者は心筋梗塞を起こし、就寝中に呼吸困難に陥った。心臓の病訴は投薬によって安定し、心臓発作の後1999年1月まで重水素低減水の摂取を中止したにもかかわらず、腫瘍の成長は最低限に留まった。1999年6月、患者は休息中に呼吸困難を起こさなくなったが、X線によって中程度の進行が示された。彼は現在まで4年間重水素低減水を摂取し続けており、その間で中断したのは一度だけであった。また、患者は定期的に一定量の分泌物を吐き出していた。

注:肺がんの頻発に関して、我々はいくつかのケースを挙げてきた。全てのタイプの肺がんでよい結果を示すことができることが上記からも明らかである。統計的に示すと、60~70%のケースで重水素低減水摂取後に客観的な反応が見られた。生存率は有意に増加し、腫瘍は数年間休止状態に入る。手術後の寛解において、重水素低減水が再発を妨げていることが、75歳の患者のケースによく反映されている。このことは恐らく腫瘍マーカー値によっても示されるだろう。90ppmの代わりに75~85ppmの重水素低減水で治療を開始することにより、結果を大幅に向上させることができる。これは腫瘍サイズが大きい(4~5cm)ケースで特に顕著である。

生存例2

■前立腺の腫瘍
22.男性患者(65) 1992年10月30日重水素低減水摂取開始
患者は1992年10月に手術不能な前立腺腫瘍と診断された。重水素低減水治療開始後、彼は排尿の問題に改善があったと報告した。また、前立腺特異抗原(PSA)値はFugerel療法を開始する前に、すでに減少していた。1ヶ月後、腫瘍は触知できなくなり、手術が可能になったが、患者は手術を拒絶した。患者は1年間の重水素低減水の摂取を続け、その後7年間病訴から解放されている。

23.男性患者(66) 1994年12月1日重水素低減水摂取開始
1994年9月、前立腺腫瘍は完全閉塞とリンパ腺への転移を引き起こしていた。10月のPSA値は83.4 ng/mlであった。重水素低減水の摂取に続き、短期間で排尿の問題がなくなった。重水素低減水治療の開始の2週間後、血液サンプルはPSA値0.99 ng/mlを示した。しかし、その値は間違っていると思われたため、2週間後に再検査を行ったところ、値は0.6 ng/mlを示した。この値は1995年3月までに0.23 ng/mlまで減少した。1996年7月と1997年1月の測定値は、検知不能であった。患者は初め重水素低減水の摂取を9ヶ月間続け、1996年に2~3ヶ月間治療を再開した。

注:前立腺腫瘍の場合、PSA値の測定によって潜在的な患者を特定できるという点が重要である。現在までの我々の結果に基づくと、このタイプの腫瘍の場合、早い段階で疾病の診断ができれば、薬物治療を必要とせずに重水素低減水の適用のみで大きな効果を得ることができる。PSA値が50~60を超える男性を検査し、がん患者を重水素低減水で治療することには大きな経済上の意味がある。今ならば安価な試験(数千フォリント/試験)であるが、それに続いて非常に高額な治療費(1患者当たり年間約60~70万フォリント)が発生するのである。しかも多くの場合、患者は一生を通じて払い続けることになる。アメリカでさえも全ての前立腺腫瘍の男性に、約1000億ドルもかけて予防治療を施すことはできない。重水素低減水の適用は、全ての人へ安価な治療を提供できるのである。

■卵巣の腫瘍
25.女性患者(52) 1996年4月4日重水素低減水摂取開始
患者は1995年の夏に卵巣腫瘍と診断された。この腫瘍は組織学的に腺がんと識別されるものであると確認された。また、子宮と網も侵されていた。手術後、患者は細胞増殖抑制治療(Carboplatin, Cysplatin)を1996年3月の終了までに8連続で受けた。彼女は従来の治療を終えた後に重水素低減水を摂取し始め、40ヶ月間連続的に飲水し続けた。その後、彼女は症状もなく、活発な状態にある。

注:卵巣腫瘍の予後が良くないことはよく知られている。しかし、我々の研究によれば、卵巣腫瘍も重水素減少によって治療を行うことができる。強調しておきたい点は、我々の現在の知識に基づいた予後と重水素低減水の効力の間には、厳密な相互関連はないということである。これは従来の観点では見込みがないと思われた腫瘍が、重水素減少治療にはよく反応するかもしれないということを意味する。卵巣の腫瘍の場合、数年間寛解傾向にあっても、患者が重水素低減水の摂取を止めてしまうと再発が起こってしまうケースが数例あったという点を強調しておきたい。

■舌および囲口部の腫瘍
28.女性患者(63) 1993年7月13日重水素低減水摂取開始
患者は口腔内の新たな腫瘍のため、1993年6月までに3度の手術を受けていた。その後患者は顎の部分除去への同意を拒絶し、放射線治療を最大限に受けた。またそれと同時に重水素低減水を飲み始めた。1993年8月までに舌下の創傷は治癒し、頤の腫瘍は軟質化した。また、9月までに頸部の腫瘍は消失した。1994年、1995年、1996年、1997年の始めの9ヶ月間は、医学的観点では何も起きなかった。その後、アンズの種によってできた創傷が治癒しなかった。そのため、患者は1997年11月に2度の細胞増殖抑制治療を受けた。3回目は創傷が完全に治癒したため行われなかった。患者は肉体的に良い状態を持続し、6年にわたって重水素低減水を摂取していた。

■悪性黒色腫
29.男性患者(51) 1994年11月17日重水素低減水摂取開始
1994年7月、患者はクラークレベルⅢ黒色腫を切除した。腫瘍は左側腹部の母斑から始まり、同年8月には左腋窩の切開が行われた。これに続いて、患者はダカルバジン(dacarbazine, DTIC)とインターフェロン(Interferon)治療を受けた。患者は上記の日より規則的に重水素低減水を摂取し、1995年、1996年、および1997年は症状が現れなかった。この期間中の1996年5月に、手術が一度行われた。1年半の間腋窩にあったリンパ節を切除するものであったが、成長は全く見られなかった。除去した節を顕微鏡下で調べた記録は次の通りである。「・・・塊は周囲組織から形成された腫瘍組織によって占められていた。・・・頻繁な分裂による形成。腫瘍塊の壊死。腫瘍は太い線維に囲まれ、切除による脂肪組織への腫瘍の伸展は示されなかった。」 長期間の無症状に関連して、重水素低減水の摂取開始後3年以上を経た1998年初頭から飲水を休止した。重水素低減水の摂取を中止してから1ヶ月半後、患者の胸部に瘤が現れた。その後、彼は重水素低減水を再び摂取することなく、1999年3月に死亡した。

30.男性患者(46) 1994年12月20日重水素低減水摂取開始
患者は悪性腫瘍のため、手術を受けた。その後の1992年4月、腋窩よりリンパ節を切除され、1994年春にDTIC治療が行われた。秋までに耳の後ろと肝臓に転移が現れ、続いてイントロンA(Intron A)治療が行われた。重水素低減水の摂取開始1ヶ月後のCTスキャンによると、初期の肝転移の2つが確認できなくなっていた。また、2つは縮小し、1つは変化のないままであった。さらなる診察(1996年3月、7月、12月、1998年2月、12月)によって、肝転移の段階的な後退が明らかになった。1999年4月のCTスキャンの結果は次の通りであった。「前に見られた小さな残存病巣は検知できなかった。限局性の構造体はCTスキャンでは確認できなかった。」患者は肝転移の確認以来5年間、活発に過ごしており、仕事もこなしている。

注:上記には2つの成功例を挙げたが、黒色腫のようなタイプの腫瘍は反応が鈍く、治療は非常に難しい。毎週新しい転移が発生するようなケースでは、我々は全く成功を収めることができなかった。この観察記録は、アメリカの研究所で行われた試験管内での実験に沿っている。それによれば、前立腺や乳房細胞株の抑制は24~48時間続くのに対し、黒色腫細胞株は低重水素量の培地に6時間以内で適応してしまう。したがって、このタイプの腫瘍の場合、用量を増やさなければならない。つまり、通常より短時間で体内の重水素レベルを減少させるのである。

■骨髄の悪性腫瘍
31.男性患者(26): 急性骨髄性白血病(AML) 1995年1月10日重水素低減水摂取開始
1992年9月発熱に続き、リンパ節の肥大が報告された。患者は組織学的な診断によりホジキンリンパ腫(Hodgkin Lymphoma)と診断され、1994年2月にABVD(adriamycin, bleomysin, vinblastine, dacarbazine)による治療を受け、さらにCOPP(cyclophosphamide, Oncovin, procarbazine, prednisolone)治療を受けた。1994年6月に、検査によってAMLのM4型(骨髄単球性白血病)であることが確認された。3度の治療を経て、1994年10月に患者は化学療法を拒絶した。1995年1月3日と10日の血球算定により、末梢で幼若芽球様細胞(blastoid cell)の数が増加していることが分かった。患者は1995年1月10日に重水素低減水の摂取を開始し、1月31日の血球算定では幼若芽球様細胞の存在は確認されなかった。患者は1997年3月まで定期的に重水素低減水を飲水していた。この間に行われた検査は全て陰性であった。1998年1月から数ヶ月間、彼は予防手段として重水素低減水を引水した。彼の検査結果は4年以上の間陰性であった。

32.男性患者(62): 慢性リンパ性白血病(CLL) 1996年1月16日重水素低減水摂取開始
患者はB細胞性のCLLと診断された。1995年末から白血球数の増加、貧血、血小板減少が起き、患者は赤血球と血小板の濃縮治療を受けた。CTスキャンによれば、両肺尖に線維束の残存が確認され、同様に1.5~2cmのリンパ節が縦隔内に見られた。肝臓と脾臓はかなり肥大しており、腸間膜には部分的にリンパ節が誘導されていた。従来の治療を受けているにもかかわらず、疾病は進行した。患者は衰弱のためほとんど寝たきりの状態にあり、体重も連続的に減少した(69kg)。1996年1月に彼は重水素低減水を飲み始めた。その2ヶ月後には輸血回数が減り、その後の血球算出の結果では輸血の必要がなくなったことが明らかになった。彼は抵抗力を取り戻し、4ヶ月後には頸部のリンパ節が触知できなくなった。年末近くに腹部の病訴があり、1997年1月には腹壁に触知可能なリンパ節肥大が確認されたが、手術によって切除された。さらに1998年春には、腋窩に腫脹が見つかった。患者は3ヶ月間重水素低減水を摂取し続けた。1年後の1999年5月、患者の体重は80kgになり、触知可能な腹部リンパ節はなくなった。患者は肉体的に良好な状態にある。

■神経上皮腫
35.男性患者(45) 1995年4月25日重水素低減水摂取開始
1994年11月、患者の背中に激しい疼痛が現れた。L. Ⅱ-Ⅴ. compr.骨折は確認されたが、初期腫瘍の原因は特定できなかった。1995年3月のCTスキャンではL. Ⅳ椎骨に最も大きな進行が認められた。また、以前の検査時に比べて椎骨本体は0.5cm狭まっていた。軟組織密集の過程で、椎骨付近が破壊され、proc.transversus右側は脊柱管の方へ広がっていた。生検によって神経上皮腫と確認された。範囲と位置が悪く、腫瘍の手術は不可能であった。重水素低減水の摂取前、患者は寝たきりの状態であった。彼の疼痛は治療開始後6~7日で多少増加したが、3週間後にはモルヒネの投与は必要なくなり、患者は起き上がれるようになった。そして3ヶ月後には、患者は杖を使わずに自力で歩行できるようになり、車の運転も可能になった。彼は1995年8月まで重水素低減水を摂取していた。その後、患者に関する情報は得られなかった。

■神経線維腫
38.女性患者(12) 1996年8月6日重水素低減水摂取開始
少女は神経線維腫症が引き起こすopticus gliomaの治療を受けていた。また、両目に黒内障を発症していた。1994年8月に、聴覚、顔面神経、動眼神経、外転神経の不全麻痺および右半身の麻痺を伴う中枢神経の障害が起こった。カルボプラチン(carboplatin)/VP-16化学療法が行われ、MRIで効果を評価した。MRIによると、大幅な腫脹が起こっており、進行が確認された。この後、患者は従来の治療を受けなかった。少女は1996年1月に初めてVitaquaと呼ばれる130ppmの重水素低減水を摂取し始めた。その後、8月からは85ppmの重水素低減水を飲水した。1996年11月のMRIでは、腫瘍のサイズとコントラストは大幅に減少しており、腫瘍の後退が確認された。重水素低減水の摂取を始めて以来、少女の話す能力と動く能力は連続的に改善された。1997年1月、彼女は自力で歩行できるようになった。1996年11月とは対照的に、1997年8月腫瘍のサイズは半分の大きさになっていた。1998年12月のMRIでは、進行は全く見られなかった。現在では、少女は2年以上通学を続けている。

■腫瘍の部位が未分類
2.女性患者(39) 1993年8月23日重水素低減水摂取開始
1991年10月の手術に続き、患者はCMF療法‐放射線治療‐CMF療法を受けた。1993年7月に右腋窩の切除が行われた。彼女は重水素低減水を1993年8月から11月まで摂取していた。1994年秋に、患者が物が二重に見えると訴えたためCTスキャンを行ったところ、側頭部に異常が見られた。1994年11月から、重水素低減水の摂取が不規則になり、推奨する用量を飲水しなくなった。1995年春に、縦隔内と肺への疾患が確認された。1995年3月から9月まで飲水を行い、その後中断して1996年10月に再開した。病状も停滞、進行、改善と同様に反映された。この患者は、5年前に脳と肺への転移が見つかったにもかかわらず、現在(1999年5月)も生存している。

4.女性患者(39) 1994年9月3日重水素低減水摂取開始
患者は1986年に手術を受け、1年前から存在していたクルミ大の腫瘍を切除した。最初の再発は1987年に確認された。1993年9月に骨転移の疑いが生じ、1994年3月に転移が確認された。従来の治療を受けているにもかかわらず、病状は進行していた。重水素低減水の摂取を始める直前の、患者に関する最後の報告書は次の通りであった。患者は激しい疼痛のため、モルヒネの投与を受けていた。治療を始めて数週間後、彼女は鎮痛剤を必要としなくなった。10月には鼻の下にあった腫瘍が、平坦化し縮小していった。11月のX線検査で、肺転移の後退が確認された。1995年3月の骨シンチグラフィでも、同様に後退が見られた。1996年1月の検査では、肺は完全に回復していており、骨においてもさらなる後退があった。頭皮下の転移は、1996年11月から進行が始まった。1997年1月、肺がきれいになったことにより、患者の疼痛はなくなった。彼女は1998年の春まで重水素低減水を飲水し、1998年11月までの半年間飲水を中断した。その後の骨シンチグラフィでは、数箇所に小さな転移が確認されただけであった。患者は重水素低減水治療を開始して以来、5年間疼痛から解放されており、生活状況は良い。

6.女性患者(42) 1995年5月18日重水素低減水摂取開始
1993年4月の脳手術に続き、患者は放射線治療を受けた。1995年3月、椎骨と胸骨への骨転移と同様に局部的な再発が確認された。2ヶ月後に患者は重水素低減水を摂取開始し、42ヶ月間飲み続けた。1995年11月の骨シンチグラフィでは、進行は見られなかったが、疼痛は沈静化し、病状は全体的に改善された。1996年は良い健康状態のまま経過した。1997年1月肺水腫が発生したが、時折仙骨に疼痛が起こることは別として、患者の状態は良かった。1997年10月に行われたX線スキャンにより肺への障害が疑われたが、以前に確認された卵巣嚢腫は見られなかった。1998年1月患者は咳き込み、肺への転移が確認された。その後、患者は細胞増殖抑制治療を開始した。

お問合わせ TEL : 06-6393-5575 大阪府大阪市淀川区西三国3-18-1 103